文献からたどることのできる六甲登山ロープウエイの記録をまとめます。
合わせて、祖父のアルバムから、当時の様子を紹介しましょう。
六甲登山ロープウエイは、正式名称を六甲登山架空索道といいます。
架空索道とは耳慣れませんが、鉄の道=鉄道ならぬ、索(綱)の道=索道で、ロープウエイの意味です。
正確には、索道は、ロープウエイ、ゴンドラ、 チェアリフト、スキーリフトなどを含む総称です。
六甲登山ロープウエイは昭和19年に撤去されるまで、六甲ケーブル(六甲越有馬鉄道)と並ぶ表六甲の主要交通機関でした。
当時の六甲山の記録には必ずといって登場するのですが、ロープウエイの全てについてまとめているものは見当たりません。
ここで紹介する内容は、いろいろな 文献 の断片を綴り合わせたものです。
以下で (1) 等は文献番号を表し、クリックするとリストを参照できます。
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建設省国土地理院刊行 5万分1地形図「神戸」昭和10年測量(昭和12年9月30日発行) 部分拡大 (左の地図をクリックすると拡大図をご覧になれます)
当地形図は国土地理院に確認を得た上で複写・掲載しています。
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大正15年 | 2月 | 索道架設許可申請 | |
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昭和5年 | 8月 | 26日 | 索道架設認可 |
9月 | 30日 | 会社設立 | |
昭和6年 | 2月 | 起工 | |
9月 | 上旬 | 竣工 | |
22日 | 営業開始 | ||
11月 | 6日 | 開業 | |
昭和19年 | 1月 | 11日 | 山上を結ぶ交通運輸施設として、ケーブルと合わせ2線存在したが、いずれか1線にて足りるとして、不要不急の設備に指定され撤去 |
索道については私の専門外ですので、日本近代の架空索道(1) からデータを引用し、詳しい説明は省かせていただきます。
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(備考) 山岳線で架空索道としては初めてのワードレオナード制御を採用し、全線にわたって速度制御が行われていた。 走行機の主要部はジュラルミン製で軽量強固。走行輪は特殊合金鋳造。 客車は主材にジュラルミンなどの軽合金が用いられ、柱・桟の細い明るい設計であり、20人分の座席をもち、立席のための吊り手も設備。 |
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(六甲登山ロープウェイ模型)
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この写真は安全索道株式会社の社史に載っているもので、同社のご提供によるものです。 惜しいことに、この模型は安全索道株式会社が現在の位置(滋賀県)に移転するときに処分されたそうです。 |
詳しく知りたい方は、リンク集 にある他のホームページで情報を得ることができます。
(断面図)
この断面図は、日本近代の架空索道(1) p.75のデータを基にCADで作図したものです。
通常、断面図は高さ方向を誇張して描きますが、この図は縦横の比率が同じです。
いかに急勾配であるか、お分かりいただけると思います。