小林一三氏は、提案する六甲山の開発を具体化するため、六甲山経営株式会社を設立しました。
祖父は、その取締役として、現場を任されたのです。
小林一三氏は、六甲山の開発のアイデアを具体化するため、小規模な会社を興します。
それが、六甲山経営株式会社です。
この会社は、六甲山ホテルと、山上の住宅地の経営、阪急六甲から山上までのタクシー業 を主体としていますが、その他にも、小林一三氏の考えを反映して、六甲山を能くするための、さまざまな開発事業を手がけたようです。
祖父は、その取締役に抜擢され、ホテルの支配人の仕事を含め、現場を取り仕切ることになったのです。
以下で (1) 等は文献番号を表し、クリックするとリストを参照できます。
まず最初に、六甲山経営株式会社設立までの動きを「小林一三日記」(1) からピックアップしてみましょう。
昭和29年
3/6 晴
7/30 少雨
8/3 晴
8/31 時々少雨
9/4 少雨 昭和30年
7/25 晴
8/2 晴
8/8 晴
8/17 晴 |
(修復中のホテル)
昭和29年11月撮影 |
以上のように「六甲山は泣いてゐる」以来、約3年を経て、会社設立の運びとなりました。
日記にはありませんが、小林一三氏のことですから、この間、他にも綿密に調査・検討されたのだと思います。
もちろん、六甲山ホテル避暑の際には、祖父もお手伝いしたことでしょう。
設立された会社について「京阪神急行電鉄五十年史」(13) には以下のようにあります。
■ 六甲山経営株式会社 (昭和32年当時)
本店 | 大阪市北区角田町41 阪急電鉄内 | ||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
営業所 |
神戸市灘区篠原字六甲山1034(六甲山ホテル) 神戸市灘区宮山町3-44(六甲山タクシー) |
||||||||||||
資本金 | 15,000,000円 | ||||||||||||
設立 | 昭和30年9月9日 | ||||||||||||
役員 |
|
||||||||||||
事業目的 |
六甲山の開発 ホテル、食堂、売店の経営 娯楽施設の経営 自動車運送業 土地建物の売買、賃貸借 前各号に関連する一切の業務 |
||||||||||||
沿革の概要 |
|
||||||||||||
営業の概要 |
当社は六甲山上にてホテル及び住宅経営を主体として行っており、又兼業としては阪急六甲駅前にてタクシー業を行っている。
|
ふたたび「日記」(1) より。
昭和31年
6/20 晴
敦子同道六甲山にゆく。
ケーブルから自動車、六甲山ホテルにて昼飯。
設備の充実を見る。
新築売家を一巡して三時帰途につく。
(タクシーもしくは社用車)
昭和30年8月撮影 |
今も阪急タクシーには
同じマークが付いています |
なお... 六甲山ホテルは、阪急ホテルチェーンの一つとして独立しました。 六甲山タクシーは、昭和53年 阪急タクシーに組み入れられました (15)。 |
(六甲山ホテル)
|